小学1年生の時の遠足の地を(2月9日、月)

赤羽駅に3時に戻ってきた。
次の予定は東京駅八重洲での飲み会、6時半からだ。
ちょっと時間が空いてしまった。
それなら小学校1年生の春の遠足後岩淵の水門へ行って時間をつぶすことに。
水門のある荒川は小学生のころ
遠足以外にも、暑い時には水浴び、母が黄疸になった時にはシジミとりにと
たびたび歩いて行ったところ。
その帰りに大通り脇の造り酒屋さんンの出しっぱなしの水道を飲んだり
体に浴びたりした思い出もある。

赤羽駅からとりあえず一番街を歩いて行く。
この商店街、大昔、母と墓参の後、すし屋さんや甘いもの屋に寄った通りだ。
今やそのお店は残ってはいないが、立派な商店街だ。
商店街が終わったところで大通りを右折する。
北本通りへ。

環8と北本通りの交差点を新荒川橋へ一寸行ったところで右手の立派なお寺が見える。
ちょっと気がそそられてそのお寺へ。
山門から観音様に手を合わせる。
その隣にもお寺さんが。
寺町のようだ。

気なりに住宅街の道を歩いてゆく。
戦災にあってないのか狭い道が入りこんでいる。
迷ってしまって岩淵水門の方向が分からなくなってしまう。
通行人に訊いたところ「方向はあっち、道は直線ではないが。方向感覚重視で歩いて行けばOKとのこと。
ジグザグに歩いてやっと新河岸川に突き当たった。
荒川に土手が高くてそれらしい水門が見えない。
散歩している人に訊けば工事中のシャッポを被っているのが水門だと教えてくれる。

新河岸川に掛かっている小橋を渡って岩淵水門へ。
耐震工事中だ、水門を渡って荒川放水路の土手に立つ。
放水路の川幅が実に広い。隅田川の10倍はあるのではなかろうか。
昔は放水路越しにお化け煙突が見えたのだが、今はない。

水門から上流を見ると小島との間に小型の水門がある。
そこまで歩いて説明版を読めば、昭和54年までの水門がこの小型の水門とのこと。
耐震工事中の大型の水門は2代目とのこと。
小学1年生の遠足で見た水門がこれだ。
1年生の時見た水門が今でも現役でいたかと思っていたが大間違いだ。

そろそろいい時間だ。
荒川の土手を国道の橋に向かって上流に歩いて行く。
その間、土手の工事地域が広く確保されている。
船着き場の耐震工事のためとのことだ。

橋から赤羽方向へ、
すぐに昔お水でお世話になった造り酒屋があった。
今はこの地で造ってはいないようだが、
どこかで作って自前のお酒を売っているお店は構えている
何かなつかしい。

赤羽駅に戻って東京駅へ。
3月に1回の定例飲み会。
5人集まって苦労している、あるいは苦労した老老介護の話でしんみり。
先日ロシアに旅行した人からはその報告があったりして盛り上がる。
2時間強楽しい時間を過ごすことができた。
幹事さんありがとう。

午前は遊水池のコートでテニス。
小学1年生の時の遠足の地を(2月9日、月)_c0147935_1952116.jpg

こちとらのメンバーは3人、隣のグループは5人。
おひとり融通していただいてダブルスを楽しむ。
曇り空で気温は低く、いい条件ではなかったが、
皆さん家の中にいるより、良いことができたと納得していた。

昼過ぎ、新宿のヴィクトリアへ。
スキーウエアの下調べ、安くて2万円。
月末になればもう少し安くなるか。
息子に借りるか。
とりあえず急いで買うことも無いとお店を後にする。

それから赤羽へ。
お墓参りだ。
その途中の赤羽団地の変り様に驚く。
建て替えは進むし、更地化は進むし。
墓参りのたびに見てきた建物が一気になくなっている。
恐るべし。

墓地も変わってきている。
無縁墓地の整理は進んでいるし、いわゆる一坪の墓地がミニ化したりもしている。
東京の変貌の一端を目の当たりにした感じだ

万歩計 27230歩
デジカメも携帯も家に忘れてきたのを大いに悔いる。

by mmmbokuten | 2015-02-09 20:29 | その他 | Comments(0)  

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